そこもなく落ちてゆく日々の果てに、何があるだろうか、

潰えてゆく肉々しい頭脳を🈳に曝して歩むこの体を浄化せしめる環境的な状態が在るのなら私はそこへと向かいたい、神経パルスを幾重にも折り重ねた蜘蛛巣の脳裏に、それをただ己自身のみが回顧することができる一つの巨大な図書館とするならば、果ては美しく在れるのか。

 

とにもかくも、意味があろうとなかろうと、ただひたすらに言葉を想起し続ける我々ら、達磨がいる、健康器具で首をつって亡くなった達磨さん、ただ朝から晩まで何か特別なことをするわけでもなく、淡々とパソコンと衣食住を行う様を毎日ブログに3か月間上げていた達磨、

社会環境の救いようのなさをうたったのだろうと思う、ネットの言葉は総じて当事者意識の低い自己承認欲求型の文章で溢れる、何せ目の前にいるのは誰かではなく無機物なPCの画面の光だからだ、それも一つの人生という、神の与えた一つの窓からしか景色を見ることができない脳という器官からだ、

彼は人生の責任を親に還元することで自殺を果たしたけれども、彼の語る自立という言葉に対する意識はどこまでの成長を果たしていたのだろうか?

 

それで親の親、つまりは静江さんの親は、静江さんを自立させることが出来たんだから、
親としての責任は全うしているわけですよ。
だから、俺が引きこもりになって自殺したことは、親の親は何も関係ないんですよ。
悪いのは、俺の親である静江さんなんですから。

 

子供を十分に育てられない静江さんを生み出した社会やその親に対して自立できていない社会、自立できていない人間の増加、なりの形での疑問を持つことはなかったのだろうか、

 

彼の脳は親とテレビと責任と理不尽をつなげ合わせてしまったゆえに自殺に至ったのだろう。

 

言葉の綾による距離幅をとった後、無意識的な言葉の捏造が見て取れる、それは今の社会の中で広がる言葉の中にも言えることでそれは彼自身指摘している、

20歳になったら自動的に自立に必要な社会常識が身に付くわけじゃないのに、
何で子供が20歳になったら親の責任が無くなるんですか?
てか、子供が20歳になるまでに、親が自立に必要な社会常識を子供に教えなきゃいけないんですよ。
なのに何で、静江さんからなんにも教わってない俺が、責められなきゃならんのよ。

 

無意識に20歳を区切りに人間が生まれ変わったかの如く責任を生じさせる機関としての社会が成立しているけれども、それはテレビもネットも現実に存在している人間が発する音に関してもおかしいのではないかと、そして最後は

結局今自立している人間て、親に恵まれただけなんですよね。

と釘打っている、社会の人間観というのが直結して人間の意識をコントロールしている例だと思う、社会がこうだから私はこう振舞わなくてはならないという深層文法、

 

私自身今現在は社会にコントロールされている身なのだろう、ここから抜け出すことが正しいことなのかそうでないのかも良く分からない、