キャシャーンと言う映画

  ダサい、とにかくダサい、めちゃんこダサい人造細胞、大量の鉄人28号、人類滅亡、大亜細亜連邦共和国、聞いていて此方が困惑するような言葉の螺旋、オペラ調で語られる馬鹿馬鹿しいにも程にも在る大げさな物語、一々大げさだと思わずには居られない、幼稚な大人たちがそこにはいる、だからこそその言葉や音楽に誠実さが、人間の生生しい程の弱さが物語に宿るのだ。

 映像の中には子供の頃にダンボールを丸めてちゃんばらごっこをしていた景色を思い出さずには居られない、映画というのはやっぱり作り物で映画であるこそ素晴らしいのだと、映画人間の底力を見せ付けられた気持ちだ、映画に飲み込まれると言うのはこういうことなのだなと改めてぼくは感心した。

 脳の内には皆物語を孕んでいる、人間には生きるために物語を欲するのだと、ダサいと言ったが前言撤回だ、最高にかっこいい、要所要所素晴らしい景色がこの映画にはある、映画として現実に対する戦いがあると思う、ところどころ戦争のリアルな映像がところどころに挿入される技法が僕はなんともいえない生きることに対するおぞましささえ感じ取れた、感じられる、感覚として感じられるというのは映画にとってもっとも大切なことではなかろうか、ぼくはそれを感じ取ることが出来た、皆が最後に死んでおきながら「それは決して難しいことじゃない」と主人公が語る理由は一体なんだろうか、

 

ふと思ったが虐殺器官キャシャーンの焼き増しではなかろうか、オマージュといったほうがいいかもしれないけれど、余りに展開が似ていると思った、