世界はなぜこんなにも他者に厳しいのか

仕事をしていてぼくは素直に不思議に思う、こんなつまらない人生を送っていてこの人たちは何を考えているんだろうかと、

社会は厳しいな、つらいなと思う人は少なくない、それに対抗できる思想を持つことがぼくにできるだろうか、

それに対抗するにはあまりにぼくの精神はもろいのだと思うけれど、ぼくは社会がもっともっと他愛的になることを望んでいる、

どうして無意味にも他人を攻めることが出来るのだろう、

これは毎年自殺する3万幾羽かの自殺者達とぼくにとっては大きな問題だ、なぜと考えて次にどうすべきかを出力する、

あらゆるところに言葉は存在する、ならば、こんな意味の無い文字にも、誰かが、誰かが受け取ってくれると、結局意味なんて無くてたまらない、それでもいつか誰かが自分自身の人生の意味を繋いでくれると願えるんじゃないだろうか、

ぼくは文字と音楽に人生をささげる、そして僕自身できる最大限の他愛を持って生きる。それが僕自身のこれ以上ない白状だと思う、伊藤氏はもがいていた、これ異常ないくらい人間的に、なんとなくぼーっとしているような、無意味に身を寄せて生きているような人間とは違って、彼は圧倒的に欠如して求めていた、少なくともぼくは彼のそんな姿勢に魅惑されたのである。

 

言葉はある程度正しくてある程度は常に正しくない、

 

人間の脳をどこまでも弄繰り回す機械それが音楽と言葉の一部なのだとぼくは思うのだ、

人間は無意味なんかじゃない常に意味を抱いている、

人が音楽を好むのは音楽が人間の脳を導いているから、文学が人間の脳を導いているからだと思う、1000年後2000年後人間はさらに進化し一体どんな生物になっているだろうか、どんな世界になっているだろうか、ぼくは楽しみだ、

人間を絶対的に肯定できるのは結局のところ人間のうちそのものに抱えた情動だ、

だからぼくは文脈を見つけたい、科学が無意味であれば無意味であるほど、そこから成り立つぼく達の幻想我を直視したいと思うのだ、

ぼくは人間は高度な生き物であると信じている、

人間の攻撃性がどのように生まれるか実に不思議だ、実際ぼくは攻撃性をほとんど持ち合わせては居ない、昔からだ、

いじめを心理学的に考察する

バブーンという生物では攻撃性の高いオスが集団を社会を階層化し自分より低い立場のオスを脅し傷つけることで支配を行う生物だが、階層の高い生物が病原菌により大幅に減少すると、イジメがなくなったそうだ、

 

それに人間を当てはめることは沿う難しくないと思う、ぼくが今の社会に反対するのなら、攻撃的な人間を殺せば良い、とはいってもそんなことが出来るはずも無いので、そうなるような傾向を抱えるものを僕自身が支持していくしかないのだろうな。

 

いじめを行う人間そのものを病気だと人間が認知して治療対象にしてしまえばきっとぼくはもっと行きやすくなるんだろうな。研究者に寄付なりなんらか帰属したいものです。

 

自分が認めたくないものを攻撃することがイジメ、ユング心理学で言うところの「影」なのですが、なのであれば、問題はいじめを行う彼の脳にその言葉が存在することなのだと思いますね、

 

僕自身もスケープゴートの対象には今まで飽きるほどされて来ましたから、痛いほど分かります、いじめやすい対象を見つけてはことあるごとに攻撃を行う、

 

重要なのは文脈をたどることだ、怒りの文脈をたどること、